10年ぶりくらいに白黒フィルムで撮影した。フィルムはイルフォードデルタ100。あまりに久しぶりだったので些か緊張したものの、仕上がりを楽しみながら撮れた。出来栄えは、久しぶりにしてはまあまあか。まあまあにしておこう。
飾らないフォトギャラリー
その時その時の想いのままシャッターを切った写真に
言葉を添えて。
三十数年ともにきた写真をこれからも。いつまでも。
いつぞやの鳩のカップル。人が二人の時間を楽しむのと同じように、この2羽も楽しまれていた。人間だけが生きてるんじゃない。今を生きている全てが、こうやってそれぞれに生きているんだ。
苦手な蒸し暑い夏が近づいてきた。今年は何事もなく大好きな秋へ辿り着けるだろうか。この時期の良いところは、夜になるのが遅い分だけ夕暮れを長く楽しめる点。仕事を終えた帰りに夕暮れの空をみることで、心が癒されたり映し出せたり。
昨日は一仕事終えた後、久しぶり水辺の公園へ行きたくなった。公園の奥の方へ歩いていくと人も少なく一人の時間を静かにゆっくりと楽しめる。陽がそろそろビルの向こう側へ隠れるころから夕暮れの終わりころまで、合間にスマホやフィルムで撮ってみては、ただただそのひと時に身を委ねていた。
マンション敷地の入口を散歩していたカルガモと出会ったあと、100段以上ある階段を1段抜かしで上ったところに咲いていた紫陽花。下に広がる住宅街の背景がこの時は心に留まった。真夏のような蒸し暑さの中、たいしてへばることなく上り切れたことも、ささやかに嬉しかった。
先日は心に止まらなかったものが、今日“この時”には心に留まり、カメラを構えファインダーを覗いて、心にピントが合ったところでシャッターを切る。今日この時の紫陽花のように。写真をやっていると、心は流動的であるというのが鮮明に分かる。だから幾らシャッターを切っても止めやしないんだ。心が流れ動いている以上は。
先日無事治ったフィルム一眼レフペンタックスKMに、お気に入りのイルフォードデルタプロの白黒を入れて、よく知った街を撮り歩きをした。デジカメであれば何百枚と撮れ、その場で確認して気に入らなければ消去できるが、フィルムは36枚と十分の一以下の枚数且つ、気に入らないものもネガに焼き付けられる。そのため、緊張感も一枚に対する集中力も被写体選びも格段に違う。ちなみに今は現像だけ頼めば、フィルムスキャナーを通して、自分でペーパーを選び色を補正し気軽にプリントできる。下手な写真屋よりよっぽど満足を得られる仕上がりになる。今回は久しぶりの白黒フィルム。お気に入りの一枚が出るだろうか?
先日家の前で見かけた蝶々。そう、こうやって生きている。自分の限り生きている。人とは比較にならないほど強く懸命に、純度100%で。
いつの頃からか忘れてしまったけど、夕暮れの空が好きだ。なぜ好きだと問われても、言葉が乏しくてうまく伝えられないが、唯一言葉にできる理由を上げるなら、自分の今この瞬間の心情を空が映し出してくれるからであり、空に映し出せるからである。喜怒哀楽の原色や混色も。
木々の緑や花や鳥や虫を見て癒されたり、それぞれの命を生きていると感じた春は無かっただろう。
地名は知っているだけの知らない街を歩くのは新鮮で楽しい。普段過ごしている見慣れきった風景と違う風景に、キョロキョロ見回し見上げては立ち止まって写真を撮ったりと。つぎはどこを歩いてみようか。
特にカメラを入れてない時でも、スマホやタブレットで気軽に撮れるものだから、ちょっとした合間を使っては写真を撮り、自分の時間を作って心に栄養を与えている。そんな風に合間を意識して撮っていて分かったのは、やはり自分と写真は切っても切れない関係であると共に、大黒柱として存在していることだった。年を重ねる度に太さは増してないくことだろう。